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今回は「共感させる文章」です。

文章を書く系の本を数冊読んでおりまして、その中でよくお目にかかる単語は「共感」であります。読み手に共感させる文章を書きましょう、という趣旨のことは複数の本で見かけます。

共感させる文章を書くためには、読み手がどんな人かを想像、設定し(ペルソナの設定とか言われる)読み手の悩みを解決する、知りたかったことを教える、読み手が「これって自分のことを書いてるみたい」と思わせるようにする、ということを考えましょう、なんて言われるわけです。

で、「おー、そうなんだ」と思いつつ文章を書いてみますが、どうもしっくりこない。

「とりあえず数をこなせ」

「数多く失敗して、改善して、その繰り返ししかない」

はい、おっしゃることはよくわかります。

しかし、うまくいっていないのはいいとしても、「どこがまずいのか?」というのが全く見えてきません。

「だれか、自分と合いそうな(似たような)うまく結果が出てる人の真似をすべし」

「お金を払って、誰かから教えて貰うのも一つの方法」

こんなアドバイスも見かけます。

実際そう思って、有料のライティング指導を受けてみましたが、とても納得できるものではありませんでした。

(十数万払いましたが、あまりに契約内容と実際の指導内容が違うので、いろいろ問い合わせたら「じゃお金返すわ」みたいな対応をされました。お金は返ってきたけれど、数ヶ月間無駄にした感じは否めない。)

ちゃんとした人もいるはずですが、また「はずす」とめんどくさいのでねえ。とりあえず有料のものは正直ちょっと怖い。

いま、いくつか本を読んでみたところ、自分の求めているものに合いそうなのは、「広告代理店経験者」が書いた本です。

「なるほど~」となる回数が多いように思います。

自分が知識、方法を求めているからでしょうね。

ただ、読書後にかなりの納得感、満足感がある本でも「共感した」と言われると少し違うような気がします。

本に書いてある内容として、

「あなたは今このことでお困りでしょう」

「あなたはこういう風に思っていませんか?」

と提示されていても、

「そうそう。まるで自分のことみたい」

と、なったことがありません。

これは、自分と本の著者との「感情」が「共有」されていないことになります。

「なんとなく違う気がする」

というやつです。

そこで、自分の考え方をもっと根本から把握してみます。

自分の悩みとして

「文章のネタが浮かばない」

「文章が短い」

「文章がまとまらない」

これが、現状の「3大お悩み」です。

本を読むと、この3つについては結構な数の対策が書かれていて、もちろんどの対策も「なるほどな~」と、かなりの「いいこと聞いた感」があります。

で、実際にそのとおりにやってみると、それなりに文章が書けるようになるんですね。

ただ、2~3本ブログに記事を上げると、また行き詰まるようになります。なんか頭の中を全部吐き出して空っぽになってしまうのです。新たになにかインプットしてまた書けるようになりますが、

「とにかく毎日記事を書け」

みたいなことは到底ムリ、となります。

(それでもいい、という本はありますが)

となると、文章を書くという技術論より自分の内面、願望みたいなことがはっきりしていないから、という方向で考えるようになりました。

「そもそも、なぜ文章を書こうと思ったのか?」

これです。

入り口は「アフィリエイト」でした。正確には「文章を書いて収入を得る」のが目的なので、特に「アフィリエイト」でなくてもいいわけです。

「アフィリエイト」は、すぐに行き詰まりました。自分の興味のないことを書くのがすぐ苦痛になるからです。まず、飽きます。収入が発生すればモチベーションも上がりそうですが、そうはなりません。

で、次が「アドセンス」こちらはお小遣い程度の収入はありますが、「生活できるレベル」ではありません。

アドセンスで月20万円稼ぐには月60万PV必要とか言われています。そうなるとPVを稼げる記事が必要。そんな記事を書くには・・・

と、この記事に書いてきた内容に行き着くのですね。

PVが多いということは、

「読みたいと思う人が多いから」

「読みたい記事が多いから」

なんですけれど、

「人が読みたい記事って何だ?」

「読み手は何を読みたいのか?」

となって、これも同じところに行き着きます。

こうなる原因は

「他人の頭の中身とか全く想像できない」

からです。

そこで、出来ないものはできるようになるのがいいのですが、それよりも納得感があった考え方は

「別に自分のことだけ考えていればいい」

というものです。

「文章は過去の自分に向かって書く」

「自分が読みたいと思うものを書く」

という考え方です。

「過去の自分に向かって書く」は、例えば就職選びに失敗したとかであれば、「仕事の選び方」「会社の選び方」について書く。こんなイメージ。

これはなんとか自分でもできそう。

そしてもう一つの

「自分が読みたいと思うものを書く」

ですが、考えてみると結構曖昧なところがあります。

自分が読みたいものは、知識、方法が多いので、願望としては「知りたい」が中心になります。文章を書くにあたっては、おそらく「ひたすら調べる」ということになるかと思うので、そこはある意味「肉体労働」的なことになるんでしょう。

作業効率とかばっかり考えていたこともありましたので、これは頭の中の切り替えが必要になります。

そして、記事のタイトルにした「共感した文章」です。

一応「共感する」こと自体は多いんです。特にTwitterのつぶやきで、賛否両論ある内容に対しては、個人的に共感するしないは、かなりはっきりでます。

ただ、この賛否両論ある内容は、政治、事件、思想、社会情勢とかが多いので、どうもブログの記事にする気になれないのが正直がところです。

(文章の練習として、つぶやく回数は多めにしようと思ってますが)

ある本にあった

「事象に対する心象を書けばいい」

というのが、いまのところ自分の悩みに対する一番納得感のある回答になります。

「事象」というのは、事実のこと。事件、事故までいかなくても、ちょっとした体験、実際に見たこと、でもOK。

「心象」というのは、自分の考え、感想、気持ち、のこと。

で、大事なのがそのバランスなんだそうです。

「事象」ばっかりだと、ニュース記事のようで「あえてその人からその話を聞かなくてもいいもの」になります。

これに「心象」をプラスすることで、「書いた人の考え、感情」が入るので、「事象」が同じでも、記事としては全くのオリジナルのものになる、ということです。

そして、その記事を読んだ人が「共感」してくれれば「いい文章」となる、とのことです。

そうなると、自分がやっていることは「納得」「面白かった」であって「共感した」とは少し違うということになります。

自分自身「共感」していないのだから、他人が「共感」するのをイメージしにくいの当然といえば当然ですね。

そのあたりをもう一度考え直す必要がありそうです。

今回はこんなところです。

では。

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