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小学生のアイデンティティだったもの

togetter.com

この記事は、ストⅡ、バーチャファイターなどが全盛のころ、「自分が一番強いと思っていた」少年たちの回顧録的な内容になっています。

(1993年頃~の思い出と推察されます)

 

まだまだインターネット環境が発達していない時期なので、格闘ゲームの対戦相手と言えば、ほぼ近所の少年たちです。ゲーセンで「ゲームが1番うまい」というのは、小学生にとって、勉強、運動と匹敵する「尊敬を集めること」でした。

経験した内容は個人によって多少違いますが、その少年たちは「絶対的に自分が1番」と思っていて、あるきっかけで自分のテリトリー外のゲーセンに行き、そこで出会う「自分より上手い人」にボコボコにされ、「上には上がいる」と世の中を知り成長していく、という記事になっています。

(後半は、自分のやや勝手な解釈)

 

いまは、インターネットが発達しているので、遠くの知らない人たちとも簡単に対戦でき、「自分より上のやつはいっぱいいる」と簡単に知るようになりました。

こういう状況に対して

「それってどうなの?」

と、少し否定的なニュアンスも含んでいるような発言が記事の中にもありますね。



 

一つの流行にみんながハマった時代

それを踏まえまして、自分の小学校時代の話になります。

年代は、1980年頃。当時「小学生はゲーセンに行ってはいけません」ときつく言われていまして、「ゲーセンに行くと中学生にカツアゲされる」ということになっていました。

(自分を含めて被害者多数あり)

なので、ゲームといえば駄菓子屋の「○○商店」にしか行けないわけであります。ゲームセンターCXの「たまゲー」のコーナーに出てくる店そのまんまです。

 

自分の世代は子供が多かったので、新作のゲームが入るとやりたい子供が多すぎて、順番待ちのタイミングが悪いと1週間くらいはプレイできないような状態でした。

まず、流行ったのは「パックマン」です。


パックマン 1面~リンゴの2面まで

 

当時のハウスルールとして、順番を待つときは、下の写真のようなテーブル筐体の右側、コイン投入口付近のテーブルの上に100円玉を置く、ということになっていました。

 

sumally.com

 

これが、混雑してると放課後直行で駄菓子屋にいっても、すでに20枚くらい100円玉が積んであったりします。要するに20人待ちです。一人のプレイが10分で終わったとしても、自分がプレイするまで200分待たないといけません。

 

ときどき上手い人がいて、1プレイ1時間かかるときもあります。そうなるとさすがに小学生ですし、6時頃までには帰らないといけないので、プレイできない日もあるわけです。

 

そこで、プレイできないとき何をするかと言えば、「他人のプレイを(盗み)見てパターンを覚える」ということをします。パックマンはある程度のパターンがあり、誰がやっても「ここを右に曲がったら、次左に曲がるとモンスターは必ず上にいる」みたいな動きになります。

 

なので最も効率的なやり方は「人がやってることをパクる」ことでした。こうして時間がたつに連れ、特定のパターンが近所の小学生たちに浸透していきます。

 

小学生の少ないお小遣いを使うわけなので、みんな長くプレイしたいのです。パターン以外の新しいことをするとすぐ死んでしまう可能性があるため、ほとんどの人が「堅実なプレイ」をするようになります。

 

ですが、パターンを知らない人もいるわけで、その人が適当にパターン以外の違うやり方をしたものが、偶然今までのパターンより点数が上がる、早くクリアできる、覚えるのも簡単、ということがまれに発生します。

 

当時は、パソコンの解析とか裏技、You Tube なんてものはなかったので、「新しいこと」はすべて現場(駄菓子屋のこと)で発生していました。たまたま、新しいパターンをやったひと、またはそれを見た人が再度新しいパターンでプレイすることで、さらにそれを見ていた別の人に伝わっていく、ということになります。

(新しいパターンを披露すると、周りから『えっ』『おっ』という反応があるので、それがまた楽しかったりする)

みんな人のプレイをほんとに真剣に見ていました。

 

他人の新しいパターンを覚えようとしていたら、「俺が見つけたんだから勝手に見るな」と、喧嘩になることもありましたね。お金を使って自分のものにしたパターンなのに、ただで盗まれたら確かに怒っていいところです。

(とはいいつつ当然パクる)

 

そんなこんなで、いち早くさらなる得点を上積みできるパターンを覚えた人が「お店のハイスコア」を更新したとすると、もう次の日の小学生のクラスでは朝のトップニュースになります。

「あの面でさあ、こういって次上がるでしょ」

「うん」

「でもさ、そこで下に行ってるやついて」

「うん」

「そうすると、1600点取れるんだよ」

「うそ、800点までじゃないの」

「いや、ちゃんと目の前で見たよ」

「おう、じゃ今日俺もやってみるよ」

と、放課後までそのことで頭がいっぱいになるわけです。

 

で、お店に行くと今までのハイスコアが2万点くらい更新されていたりします。

「○組のAが出したんだって」

「すげー」

当時アホな小学生だった自分は、たしかに「Aくん」から後光が指していたことを覚えています。(おそらく)

 



 

小学生が、自分に対して自信を持つということ

いま思うと、子供が自分の居場所をつくるため、というか勉強も運動もできない、絵もうまくない、ケンカも強くない、みたいな男子小学生にとっては、「ゲームがうまい」というのは、とても大事なことでした。

なにか一つだけでも特技を持つというのはその子にとって自信につながることになっていたはずですし、他の子たちは、その子を「ゲーム」に関しては尊敬し、苦手な運動のときは、助けてやり、という関係ができあがっていったように思います。

 

それ以前は、チームスポーツなどでは露骨に嫌がられていましたが、その子からゲームのことを教えてもらうためには仲良くしといたほうがいいわけです。

 

これも今思うと不思議なんですが、ゲームが上手いAくんは、このパックマン以後のゲームもほとんどうまくこなしていました。自分はどんなゲームでも、下手と言われることはありませんでしたが、なにかのゲームでAくんの点数を上回った、という記憶がありません。

 

このパックマンにしても、点数という明確な基準があり、それによって個人間の優劣が決まり、全く勝てない相手も現れたりします。それが、「個人の才能の限界を感じる」「くやしいけれど、ゲームに関してはどうしても勝てない」という子供にとっては「ある意味残酷な現実を知る側面」もあったわけです。

 

当時は家庭用ゲーム機がなく、子供の小遣いの範囲でしかプレイ回数が稼げないので、

「ひたすら練習してうまくなる」

という手段が取れないためです。

 

そんな小学生の金銭事情のなか、Aくんは「ほぼ初見」というゲームでもなぜか他の人よりも点数を出していたのです。これは、もはや立派な才能ですし、今の時代みたいなさまざまな選択肢があれば、どんな職業についていたでしょうか?

(ちなみに現在Aくんは「板前さん」といううわさ)

 

当時を振り返ると、「ゲーム」の周りにはいろんな要素があったんだなあ、と思います。自分くらいの年齢(今年50)なら、You Tube で古いゲームの動画でも見つつ、たまにそんなノスタルジーに浸るのもいいかもしれません。

今回は以上です。

では。



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